弁護士青木信昭

弁護士 青木信昭

経歴

修習期:34期
出身地:茨城県水戸市
1956年2月生まれ
1974年3月 茨城県立水戸第一高等学校(水戸一高)卒業
1980年3月 東京大学法学部卒業
弁護士登録:1982年4月 第二東京弁護士会

弁護士会における主な活動歴

第二東京弁護士会関係

1990年、2002年度 常議員
1995年、1996年度 法律相談センター運営委員会副委員長
1997年、1998年度 同委員会委員長
1999年~2004年度 綱紀委員会委員
2001年~2004年度 公設事務所運営支援等委員会副委員長

日本弁護士連合会関係

1999年~2010年度 日弁連公設事務所・法律相談センター副委員長
2009年11月~2013年10月 懲戒委員会委員

私の信条

 私の依頼者の多くは、ごく普通の市民の方や中小企業です。争いごとに悩んで、何とか解決をはかりたいと考えている人に少しでもお役に立てればと思って弁護士の仕事をしてきました。事件が解決したときの喜びの顔、ホッとした笑顔を見るのが弁護士の仕事を続ける力となってきました。
 今後も、依頼者の方が相談してよかった、依頼してよかったと思って戴ける仕事をしていきたいと思います。

これまで取り組んできたこと

第二東京弁護士会において

 市民の方が気軽に弁護士の法律相談を受けられるようにするため、第二東京弁護士会の法律相談センター運営委員会の副委員長と委員長をあわせて4年間務めて、法律相談センターの運営に取り組みました。その間、1998年9月に東京で初めてとなるクレジット・サラ金問題専門の相談所である四谷法律相談センターを実務責任者として開設したり、離婚問題法律相談ガイドブックを編集責任者として発行する等しました。

 また、第二東京弁護士会が2001年9月に東京で初めての都市型公設事務所である「東京フロンティア基金法律事務所」を開設しましたが、担当委員会の副委員長としてこれに取り組みました。

日本弁護士連合会において①

 その後、日弁連公設事務所・法律相談センターの副委員長として、弁護士過疎地(弁護士がいない地域、少ない地域)に公設事務所を作る活動に取り組みました。公設事務所というのは、弁護士過疎の解消のために、日弁連や地元の弁護士会が開設と運営を支援している法律事務所です。このような公設事務所は、すべて「○○ひまわり基金法律事務所」という名称を使っていますが、これは、全国のすべての弁護士が特別会費(現在は月額700円)を出し合って作る「ひまわり基金」から、法律事務所の開設資金や運営資金を出しているからです。

 また、その公設事務所で活動する若手弁護士を育成し支援する活動にも積極的に取り組みました。これまでに、私の下で研鑽を積み、公設事務所に派遣されたのは、以下の弁護士です。

  • 2005年1月 倶知安ひまわり基金法律事務所(北海道)
    宮原一東弁護士(初代)
    ※中小企業の私的再建に取り組む桜通り法律事務所を開設しました。
  • 2005年11月 鹿嶋ひまわり基金法律事務所(茨城県)
    谷靖介弁護士(初代)
    ※退任後、千葉県成田市、茨城県鹿島市において、弁護士法人リーガルプラスを開設しました。
  • 2006年11月 美馬ひまわり基金法律事務所(徳島県)
    梶野正寛弁護士(初代)
    ※退任後、美馬法律事務所を開設しました。
  • 2010年2月 根室ひまわり基金法律事務所(北海道)
    佐々木誠弁護士(4代目)
    ※退任後、北海道帯広市において、まこと法律事務所を開設しました。
  • 2012年3月 いわて三陸ひまわり基金法律事務所(岩手県)
    在間文康弁護士(初代)

公設事務所についてはここをクリック

日本弁護士連合会において②

 この他、2009年11月から2013年10月までの4年間、日弁連懲戒委員会の委員を務めました。日弁連懲戒委員会は、全国の弁護士会で懲戒処分が出たときに、処分を受けた弁護士から、処分が重過ぎる、処分すべきでないといった不服申立があった案件や、懲戒を請求した人から処分が軽過ぎるといった不服申立があった案件などを審理する委員会で、弁護士の委員8名、外部委員7名の合計15名で構成されています。

弁護士懲戒の制度についてはここをクリック

コラム

レオナール・フジタ

 藤田嗣治という画家は、ご存知のことと思います。戦後、フランスに帰化し、カトリックの洗礼を受けて、レオナール・フジタと名乗りました。フランスで最も有名な日本人画家と言われています。
 フジタと言えば、「乳白色の肌」の絵で有名です。私は、以前から、油絵とは思えないその絵が不思議で、どのような絵の具を使って描いているのか興味がありました。
 昨年は、フジタが1913年(大正2年)に初めてフランスに渡ってから100年の節目の年であることから、いくつものフジタ関係の展覧会が開かれました。私は、都内で開かれた展覧会4つを見に行きました。また、フジタについての解説書や、フジタが書いた随筆集を買って読んだりしました。
 「乳白色の肌」の原材料について、フジタは生前秘密にしていたようですが、最近の研究で、赤ちゃんに使うシッカロールを使っていたことが分かったとのことです。
 このように、フジタは、独自の技法で絵を描き、パリの画壇で大きな評価を得ました。当時、芸術の都であるパリに渡った日本人画家の殆どが、現地の有名な画家から西洋画の技法を学ぶことを目的としていました。しかし、フジタは、スペインから来たピカソや、イタリアから来たモディリアーニ等と同じように、パリで画家として生きることを目指し、他の画家が真似のできない独自の世界を切り拓いたのです。
 写真は、フジタが、1935年(昭和10年)の1年間、「婦人之友」という月刊誌の表紙にフランスの風景画を描いたものです。時々、古本屋のサイトを調べて買い集め、全部で12冊あるうち7冊を集めることができました。あと5冊を集めることができるかどうか、気長に集めたいと思います。

婦人之友


本について

 電子書籍は、ご存知のことと思います。私は、アイフォンとアイパッドミニを使っていますが、これに、アプリとしてキンドルを入れ、アマゾンの電子書籍を利用しています。
 最近、吉川英治の「私本太平記」を読みました。文庫本ですと、全8巻で5000円以上しますが、電子書籍ですと、全巻まとめてダウンロードして、200円です。
 好きな本を何度も繰り返して読むという人にとっては、紙の本のほうがよいと思う人も多いと思います。しかし、私は、一度読んだ本は二度と読まないほうなので、紙の本がどんどんたまってしまうのは邪魔になります。その点では、電子書籍は大変重宝します。
 ところで、本は、読むためだけにあるものではありません。本の表紙絵や、中の挿絵やイラストが魅力的な場合もあり、そういう本は、紙の本でなければなりません。
 藤田嗣治は、フランスや日本で出版された本に多くの挿絵を提供したことでも知られています。藤田嗣治に関する本をいくつも出版している林洋子氏の著作に「藤田嗣治 本のしごと」という本があります。これは、藤田嗣治が手がけた挿絵本を紹介したものです。ここに紹介されている挿絵本の中には、もちろん入手困難なものも多くありますが、比較的簡単に古本屋で手に入るものもあります。
 私は、この本では紹介されていない1929年発行の「モンパルナスの人々」という本を入手しました。この本には、藤田嗣治だけでなく、ピカソやモディリアーニ、キスリングなど当時モンパルナスで活動していた画家の版画が多数掲載されています。しかも、アンカット本です。ヨーロッパでは、本が高級品だった頃、本をいわゆる袋綴じの状態のまま販売し、買った人がペーパーナイフで切り開けながら読む、綴じ方も仮綴じで、自分の好みで装幀するのが一般的だったようです。私が入手したのは、綴じられている部分が全く開けられていないアンカット本ですので、最初にこれを買った人は、買っただけで読んでいないということです。一度切り開けてしまえば、二度と元には戻せませんので、開けるべきか、開けざるべきか、悩むところです。